記得好幾年前一時好奇看了動畫,沒想到一看之後就入迷了,一下子就看完了第一季,還意猶未盡跑去租了漫畫。當時就覺得這個故事和政治學很相呼應,比如說對自由的探討與追求、對力量和權力的反思。後來因為故事開展變得更複雜,加上日子變得忙碌便沒再繼續追,直到上上週受到漫畫《進擊的巨人》最終回熱潮的感染,又開始關注這部動漫。光是釐清故事後續的主線走向及世界觀設定就花了好幾個小時,不知不覺又沉浸在其中。

《進擊的巨人》乍看下是超現實的故事,卻又與現實相呼應,沒有絕對的善惡只有立場的不同,以及在面對挑戰的不同回應;世界上沒有完美的解答,任何事物都有代價,只有為自己的選擇及行動負責。不管是世界或是人性都是充滿問題,解決眼前的問題又會產生新的問題,推動著人類前進。即使前進不必然保證更好,甚至挫屢屢敗、痛苦不堪,生命的驅力終究是要推動向前,即使壟罩在無盡的絕望感下卻不失熱愛生命的希望,相信回顧到生活中或多或少都能找到自己的那份共鳴,喚回搖擺迷失的信念,教人更珍視當下發生的一切。那些與真實狀態如此相似的矛盾以及對人類生命力的描繪,讓我感到特別著迷。

看完最終話後,心中升起了一絲無奈感,沉澱消化後卻覺得這樣的無奈感反而更貼近真實。在看虛構的故事內在不免會有釋放對現實不滿足的渴望,比如說首尾相通的邏輯、正義得以實現、有情人終成眷屬、達成最終極的理想等,所以稍有不符合期待就容易產生情緒,不過這個故事在回應這些期待上也算是達到某種圓滿了。

每次遇上一個動人故事的完結就像是要告別一段漫長而精彩旅途,悵然若失的感覺有點不好受。但仔細想想這不也是另一趟旅途的起點嗎?再次回首能遇上好故事能有所感都是值得慶幸之事!

 

喜歡的台詞:

「這個世界是如此的殘酷,卻又如此的美麗。」

「什麼都無法捨棄的人,什麼也改變不了。」

 

 

「進撃の巨人」の感想

数年前、進撃の巨人というアニメは台湾でも大人気でした。アニメを見ただけではまだ物足りなかった、漫画を借りて読みました。漫画を借り読みました。物語の中で主人公たちが自由や権力、力を探求するのが、政治学を思い起こさせました。でも、その後、物語の展開が複雑になって、生活も忙しくになりましたので、アニメや漫画も追わなくなっていました。先々週の「進撃の巨人」最終話に関する活発な討論に影響されて、このマンガにもう一度関心が湧きました。週末に数時間かけて物語のプロットや世界観を研究し、つい夢中になりました。

 

一目見て進撃の巨人はシュールなフィクションですが、現実に呼応しています。絶対の善悪というものはなくて、あるのは立場の違い、あるいは挑戦への対応の違いだけです。世界には完璧な答えはなく、どんなことをやるのにも代価を必ず支払います。

自分の選択や行動の責任を取るべきです。

 

世界や人間性は問題だらけです。問題を解決したら、新しい問題を生じます。これは人間を前へすすます理由です。たとえ、進み具合は必ずよくはなくても、さらに失敗するかもしれなくても、生命力のドライビングフォース(driving force)は前に向かわなければなりません。また、巨大な絶望感の中、生命を大切する希望も失わないです。真実な世界の矛盾や生命力を絵描き出したのは心に響きました。

 

素晴らしい物語のエンディングは長い旅と別れるようで、ちょっと寂しく感じます。しかし、これは新たなスタートではないでしょうか。かつて感動させる物語を会うことができて、よかったと思います。

 

好きなセリフ:

この世界は残酷だ…そして…とても美しい

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