因為很喜歡這篇文章,嘗試著節錄一小段作為學習日文的練習。京都是不是真的如此不得而知,但非常喜歡韓良露動感且細膩文字所流露的唯美意境,也認識了京都代表性的文化特色,其中,枯山水開啟了自己的新眼界,原來也有這樣的庭園景觀,乍看樸素單調,實則自蘊含一番天地。春櫻秋楓過隙的燦爛及如夢似幻的儀式,在華麗中又隱含反璞歸真的生命體悟,令人吟味再三。
京都の美学は「軽さ」です。
京都人は暖簾をよく掛けます。
しなやかな布が風になびいていて、外との仕切りがあるようでない不思議な空間になります。
それに、京都の枯山水より軽い山水庭園がありますか。
小さな枯山水は無限の宇宙を表現しています。
京都の古風な女性は、いまだに夏に扇子で軽く扇ぐ習慣を持っている。
夏季になると、京都人は薄い浴衣を着って、河原町で花火を見て、微かな香を漂わせます。
京都人の食事は軽やか巧みです。
茶道では茶筅で攪拌して、柔らかい泡を立たせます。
懐石は最初の軽食です。
京都人は、儚さは最も美しくて軽いと思っています。
蛍火の茶会、灯籠流し、夏の花火すべて儚夢のごとく終わります。
春の桜と秋の楓は華やかな幻影です。
京都人は人生は軽いとわかっていま。
人生は世の中でちょっと散策することです。
哲学の道で内省するようなものなのです。
京都之輕
京都的美學,在一「輕」字。
京都人愛用的隔間暖簾,
即一層輕盈,隨風飄曳的布,成了若有若無的內外之隔。
還有京都人的枯山水,世上還有比這更輕的庭園造景嗎?
一方枯山水風景,卻是宇宙無限。
京都古典女人仍有夏日輕輕搖晃搖京扇子的風俗。
夏季穿著輕薄的浴衣到河原町看煙火,紙扇飄搖時暗香流動。
京都人吃輕吃巧,
茶道講究抹茶打出的輕柔泡沫,
懷石料理是輕食的元祖。
京都人知道虛幻最美也最輕,
螢火茶會、燈籠流、夏日煙火,都以虛幻收場。
春櫻秋楓,亦是華麗的幻影,
京都人知道人生很輕,
生命不過是偶而到地球上散了一會步,
如有哲學之道的省思。
摘自:韓良露
http://gushi.tw/archives/19764
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